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玉城町

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玉城町の姿(歴史・概要)

まちのおいたち

神宮の鎮座とともに、神領となり、その中心でした。倭姫命(やまとひめのみこと)に随行して皇大神宮(こうたいじんぐう)の祢宜(ねぎ)となった荒木田氏によって開拓された農業のまちです。

延元元年(1336年)北畠親房によってはじめて田丸城が築かれ、北畠国司三大将の一人として愛洲氏、田丸氏が相次いで兵1千の大将となって拠りました。

織田信雄(のぶかつ)は天正3年三重の天守閣を掲げて現在の城郭を築き上げて北畠国司を滅しましたが、天正8年炎上以来稲葉氏、藤堂氏の領下となり、元和5年(1619)以来明治維新まで紀州領となり、明治2年(1869年)田丸民生局支配となりましたが、廃藩置県とともに明治4年度会県、明治9年三重県管轄となりました。

明治22年(1889年)町村制施行とともに田丸町、東外城田村、有田村、下外城田村となりました。

昭和30年(1955年)4月10日、田丸町、東外城田村、有田村(湯田・妻ケ広を除く)が合併して、玉城町が誕生。続いて、翌年9月30日、下外城田村を編入。32年4月1日、粟野の区域を伊勢市へ境界変更し現在に至っています。


(平成の合併協議)
平成14年10月21日、近隣の5町村(明和町このリンクは別ウィンドウで開きます多気町このリンクは別ウィンドウで開きます、勢和村(現多気町)、度会町このリンクは別ウィンドウで開きます、玉城町)が研究会、15年4月1日任意合併協議会を設置し、協議をしましたが、16年12月25日協議を終了し、当町は当面単独の道を選択し現在に至っています。

 

まちの位置

北緯34度29分 東経136度38分 面積40.91平方キロメートル

本町は伊勢平野の南部にあって、東は伊勢市に、西は多気町に境し、南は国束山系(くづか)をへだてて度会町に、北は明和町に接しています。

本町の中心、田丸は、古来陸上交通の要地で田辺(たぬい)の丘を通って大和を結ぶ初瀬街道と外城田の丘を通る熊野街道(世界遺産熊野古道出立の地)が合して伊勢に通じていました。
今は、JR参宮線田丸駅が町の中央にあり、東西南北、縦横に県基幹道とともに、南方を伊勢自動車道が走り車を流し続けています。

 

町章

タマキの「キ」を図案化したもので、全体の円は「玉」をイメージ、円満を表現。城山(田丸城跡)の鉾杉の4つの先端は4か町村の合体を現す。 (昭和40年5月6日制定)

 

 

町の木・町の花

町の木:まき 町の花:さくら (昭和54年6月1日制定)

お問い合わせ

まちづくり推進課

電話:0596-58-8200

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