歴史
玉城町の歴史
玉城町時代考証図
年代 |
おもなでき事 |
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先土器 |
前20,000〜10,000 |
玉城に人が住み始める。(各地で遺跡発掘) |
縄文 |
前10,000〜4,000 |
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弥生 | 1〜3世紀 | 外城田川流域に稲作が始まり、農耕人が住みつくようになる。 |
古墳 | 4世紀 | 農耕人が村落をつくりはじめ、部落の名ができる(佐田、田辺) |
5〜6世紀 | 大和朝廷の祭る伊勢神宮ができる。 | |
飛鳥 | 684 | 国々(伊賀、伊勢、志摩)の境ができ、玉城は伊勢にふくまれる。 |
奈良 | 749 | 度会郡、多気郡がおかれる。 |
室町 | 1336 | 北畠親房が田丸城を構築する。 |
安土桃山 | 1575 | 織田信雄田丸城主になる。 田丸忠顕は岩出城に移る 。 |
江戸 | 1600 | 稲葉蔵人田丸城主になる。 |
1619 | 紀州領となり城主久野宗成となる。 | |
1649 | 田丸城天守閣が崩落する。 | |
1654 | 押野、湯田野に新田が開発される。 | |
1709 | 大手町より出火し、板屋町、萱町、佐田へ延焼し合計133軒焼失する 。 | |
1742 | 百姓一揆がおこる。 | |
1765 | 参宮客が多くなり、宿泊者2, 000人をこえる。 | |
1841 | 岩出村開発6町(6ha) 程新田が開かれる 。 | |
1855 |
慥柄浦に異国船入るの報に田丸藩騒然となる。 | |
1858 | 柳剛流剣術が行われる。 | |
明治 | 1873 | 田丸小学校が創設される。 |
1888 | 市町村制の発布によって田丸町、佐田村、上田辺村、下田辺村が合併して田丸町となり、東外城田村、有田村、下外城田村もできる。 | |
1902 | オブラートが発明される。(田丸・小林オブラート会社) | |
1909 | 田丸農蚕学校実業女学校が設置される。 | |
昭和 | 1947 | 城東中学校ができる。 |
1955 | 田丸町、東外城田村、有田村が合併して玉城町が誕生する。 | |
1956 | 下外城田村が玉城町に合併する。 |
玉城町は、各時代の遺跡がたくさん発掘されており、歴史の古いまちである。皇大神宮(伊勢神宮内宮)の鎮座と共に神領となり、倭姫命に随行して皇大神宮の祢宜となった荒木田氏により開拓されたと伝えられている。このことから町内には神宮の摂社・末社が13もあり、神宮との関わりが深い町であったことが分かります。
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