おきな塚 -勝田-
むかしむかしその昔、三つの仮面が天から降りてきました。
一つは松阪の和屋(わや)に。一つは射和(いざわ)の青尾(あお)に。そして最後の一つは苅田(かりた)、今の勝田(かつた)に。それは黒っぽい色をした仮面でした。村中はおおさわぎになりました。
「天から降りてきたぞー」
「これはおきなの面ではないか」
村人達はびっくりして神様に違いな
いと、勝田の村ではみんなで塚をつくってまつることにしました。
鴨下(かもしも)神社におきな塚といわれるのがそれです。
その頃、農民の間ではうらないがとても信仰していました。農作業をするにも、うらない師によって作業が行われたり、ものいみといって、今日は日がらが悪いからと家に閉じこもったり、迷信に左右されながら暮らしていましたから、塚を神様にしてまつることにも不思議はなかったのです。
また、田植えの時には田楽といって、歌い舞いながら田植えをするといった優雅な暮らしをしていたのもこの頃です。
そして、伊勢神宮ではお正月になると、神前で能楽を舞う行事が華やかにくりひろげられていました。
その神宮から勝田の村に申し出がありました。
「えぇー、おきなの面をつけて舞ってくれとな」
皆はびっくりしました。
「それでもこれは光栄なことじゃ」
村人達は神前で舞うことが誇りに思われました。
それからは毎日、このおきなの面をつけて獅子六舞という舞の練習が始まりました。一生懸命です。なにしろ和屋、青尾の村人達とも交代で舞うのですから。
こうして、お正月の四日間、勝田の村人は神前で天から降りてきたおきなの面をつけ、天下泰平を祝って立派に舞が行われました。
そして伊勢三座勝田太夫(いせさんざかったたゆう)という舞楽師(まいらくし)が生まれたのでした。
穏やかな、平和な世の中でした。
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