豊富地蔵 -勝田-
130年ほど前のことです。外城田川では、広い洗い場があり、女達はおしゃべりをしながら、川の中へ入り洗濯をしていました。
母親にまじって子供達が水遊びをし、笑い声が聞こえています。
ところがふとしたすきに、「とよ」という女の子がおぼれてしまい助けを求めています。
たくさんの人だかりができ、川から引き上げられてきましたが、女の子の顔はまっ青で息もたえだえになっていました。
「とよ、とよ」
と母親が背をさすり、顔を叩いても、女の子は意識を取り戻すことなく息をひきとりました。
母親はわが子をなくした悲しみから、しばらくは放心したような日々を過ごしていました。
その頃ちょうど、六部(ろくぶ)という修業僧が、田丸(たまる)の町を通りがかり、女の子の死を哀れんで供養塔をまつりたいと申し出て、お地蔵さんと一緒に川岸にまつりました。
古くから、この世とあの世の境目は、さいの河原であるばかりでなく、村の境、辻々や橋のたもとであり、そこにはいつもお地蔵さんがまつられてありましたから、母親は道行く多くの人々に供養してもらえれば、わが子の霊を弔うことが出来るのではないかと安堵しました。
ところが、川岸にまつられたため、このお地蔵さんがいつの間にか川へ転落し、川底に埋まってしまいました。母親は、いたずらにしてはひどすぎると、たいそう嘆きました。
ある時、松蔵さんという左官屋さんが、川へ道具を洗いに行くと、
「あれー、地蔵さんじゃないか」
川岸からよいしょと拾い上げてきたのは、まぎれもなく、「とよ」さんのお地蔵さんでした。
松蔵さんは、左官松と皆から親しまれている、とても信仰心の強いまじめな人でした。
「わしが拾い上げたのもなにかの縁じゃ」
と言ってそれからは毎日ちょうちんをつけて供養しました。
今は田丸大橋のたもとに立派な地蔵堂が建てられ、道行く人々が豊富地蔵に手を合わせています。
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