あなぼとけ -上玉川-
「信長の火ぜめはすごいのう」
「寺という寺は全部焼くというとる」村では、たいへん深刻なうわさが広まっています。
それというのも、室町幕府をほろぼした織田信長は、全国統一をめざして、その勢力はすさまじいものでした。
が、仏教が宗教の立場を離れて、政治にくちばしをいれるようになり、立場が不利になるのを恐れた信長は、僧を倒すため、お寺を焼くように家来に命令したからです。
「えらいことや、えらいことや」
「隣村の寺も焼かれたという」
「わしらの寺も危ないのう」
とうとう、うわさが自分たちの身にもふりかかってきて、村人たちはあわてました。
なにしろこの吉祥寺は、寺領百石をもった由緒あるお寺で、たいそう立派な阿弥陀(あみだ)如来がまつってありましたから、村人たちが恐れるのも無理はありません。
そこで、みんなで相談して阿弥陀さまを土の中に埋めることにしました。それを聞いた和尚さんは、阿弥陀さまを土の中へ埋めるなどめっそうもない。罰があたると反対しました。
いくら話し合っても和尚さんと村人たちの意見はくい違います。信長の兵は、今にも攻めてきそうです。一刻も早く決断しなければなりません。
村人たちは、こうなったら仕方がないと、和尚さんが寝静まるのを待って本堂へ忍びこみました。阿弥陀さまを手にすると、急いでお寺の奥の山に穴を掘り隠したのです。
その翌日、お寺はまっ赤な炎に包まれて焼かれてしまいました。
命からがら逃げ出してきた和尚さんは、阿弥陀さまが無事なのを知って、村人たちに感謝しました。
阿弥陀さまが助かったんだ。
おれたちの力でお寺を再建してみせると、荒れた焼け跡を見つめながら、村人たちはこぶしを上げました。
お寺を焼いた8年後、信長は京都本能寺で火をはなって、自らの命をおとしたのです。
いつしか村人たちの間で、阿弥陀さまを隠した処を、あなぼとけと言うようになりました。
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