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玉城町

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大乗妙典塔 -小社-

昭和56年、法泉寺(ほうせんじ)の右門脇にある大乗妙典塔を道路拡張のため移転した時、
「なにやらようけ出てきた」
とビックリしたように、たくさんの経石が出てきたのです。白い小石に一字づつ経文が書いてありましたから、
「これはすごい!」
と村中の話題になりました。

そしてこんなお話があったのです。今から150年ほど前のこと、藩の財政が苦しくなり、税を重くして農民を困らせている状態が続いていました。

生きるのがやっとの生活の中で、日照りや長雨が続いてお米が取れなく、食べ物にも困ってあちこちで死者が出てきました。

いわゆる天保(てんぽう)の飢饉(ききん)です。

天保4年にはじまった飢饉は7年には頂点に達し、餓死者や伝染病による死者は無数であったと伝えられています。

幕府の対策も不十分なため、各地で農民による一揆、打ち壊しが起こり荒れた世の中になっていました。

小社(おごそ)の村でも流行病がおこり、どこの家でも戸を締め、村はすっかり静まりかえってしまいました。

そんな時、六部という修業僧が通りかかり村の悲惨な姿をみて、
「このままでは、みんなだめになってしまう。」
と河原で小石を拾ってきて、一字一字経文を書いておさめました。

それを知った村人達はとても心強く、みんなで励ましあって流行病で亡くなった人達の供養にと、大乗妙典塔と刻まれた石碑を建てました。

大乗妙典塔とは、自分よりもまず人のために幸福になってほしいと願う仏法のことです。

それからは言うまでもありません。流行病もおさまり、村には少しづつ活気が戻ってきました。

法泉寺の大乗妙典塔は、時のながれにかかわりなく、その当時のありさまを静かに物語っているように、ひっそりとまつられています。

お問い合わせ

教育委員会

電話:0596-58-8212

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