身代わり歯痛地蔵 -田丸-
今から250年ほど前、松阪の博労町(ばくろうちょう、現本町)にある惣安寺(そうあんじ)というお寺が、全焼するという惨事に見舞われました。
すぐには再建できなく永い歳月が経って、やっと再建されたものの、明治6年に廃寺となり、古くからこのお寺にまつられていた如意輪観音像(にょいりんかんのんぞう)だけは、そのまま残されていました。
如意輪観音像とは、如意宝珠(にょいほうじゅ)を持ち、あらゆる願望をかなえて幸福をあたえる観音像であると言われています。
廃寺になってそのままでは、石像がもったいないと、先祖は庄屋さんをしていたという浦町の庄三さんら八人組がもらい受けることになりました。
「立派な石像じゃのう」
と組内の安全を祈ることにして、さっそく大八車で松阪から浦町へ運びこまれることになりました。
季節は冬。
「よいしょ、よいしょ」
と毘沙門堂の横に運ばれた頃には、もうとっぷりと日が暮れていました。
それでも、石像の前に立つと、右手をほおにあて、やさしそうなお顔で、人の世の来し方(こしかた)、ゆく末を静かに考えているかのような姿に、一日の疲れも忘れ、心奪われそうになるのでした。
そうして八人組は、毎朝お花やお線香を上げてお参りする日が続きました。
そんなある日、歯が痛いといって、ほおに手をあて、泣きじゃくっている子供がいました。
母親は、医者いらず、薬サボテンといわれているアロエをとってきて、ほおにはってやりましたが、痛みは止まらず泣きやみません。
母親は、あのお地蔵さまも子供と一緒のしぐさをしてみえると思いつき、泣く子を連れて、お地蔵さまの前に立ち
「ほうら、よく見てごらん。お地蔵様も歯が痛い痛って、なでてあげようね」
とあやしていると、子供はすっかり泣きやんで歯の痛みがとれてきたのか、しだいに笑顔が戻ってきました。
それからは、歯痛め(はやめ)がおこると、このお地蔵さまが身代りになって下さると伝えられ、如意輪観音像は歯痛身代り地蔵といわれ今日に至っています。
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