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玉城町

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村山龍平記念館

記念館の由来

本館は、昭和58年4月に開館。1階に図書館、研修室、事務室を完備。2階には郷土資料館、資料所蔵庫等を設け、玉城町の社会教育の振興と地方文化の発展を志向して活用されています。

我が郷土・玉城町が誇りとする村山龍平翁は、嘉永3年(1850年)伊勢国田丸に生まれ、紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。明治維新後、一家を挙げて大阪に移住。明治、大正、そして昭和の初頭、我が国激動の時代を生き、そのたくましい開拓者精神と、卓越した指導力をもって朝日新聞を創始。これを育成し、「朝日」を世界に誇る大新聞に仕立てあげられた新聞界の英傑として知られています。また、社会事業、文化事業にも多大のご功績を残されています。

 

龍平翁の経歴

嘉永3年(1850年)

伊勢国田丸に生まれる。幼名は直輔

慶応3年(1867年)

紀州藩旧田丸領に仕えた。
剣道のほか砲術を学び、成績抜群のため褒賞される。

明治2年(1869年)

明治維新により版籍奉還のため、伊勢宮川の川端に移る。

明治4年(1871年)

一家を挙げて大阪に移住。
父・守雄が隠居し、家督を相続して龍平と名乗る。

明治12年(1879年)

朝日新聞社を興し、創刊第1号を発刊。

明治24年(1891年)

大阪府選出の代議士に当選。

大正15年(1926年)

三重県田丸尋常高等小学校へ、金1万5千円を寄付
(旧田丸小講堂建築寄贈)

昭和3年(1928年)

帝室林野局より伊勢田丸城跡(国有地九町九反歩)の払い下げを受け、これを城山公園として田丸町に寄付。

昭和5年(1930年)

貴族院議員に勅選される。

昭和7年(1932年)

三重県田丸町旧村山家屋敷跡を町に寄付。
同9年、町はここに村山龍平翁記念碑を建て、「香雪園」と名付け遊園地とする。
同12年には50メートルプールを朝日新聞社社長 村山家より寄贈。

昭和8年(1933年)

兵庫県御影の自邸にて死去、84歳の生涯を閉じる。
勲一等瑞宝章を賜り、従四位に叙せられる。

お問い合わせ

教育委員会

電話:0596-58-8212

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